サイクリストと知っておきたい、適応閾値とオーバートレーニングについての基礎知識 ~オーバートレーニングを回避するためにTSSを活用する方法~

【期分け・練習計画】【疲労・回復・睡眠】【立ち読み版】2019年4月9日 00:15

 

■適応閾値

練習と休養からなる2~3日間単位の「トレーニングブロック」の間に、体は「オーバーリーチング」と呼ばれる状態になります。オーバーリーチングは、継続的なトレーニング負荷が与えられた結果として体に生じる現象で、疲労蓄積と細胞損傷が一定の限度を超えることを指します。オーバーリーチングは、体に負荷を与えて適応(超回復)を起こすために必要なものです。しかし、注意すべき点があります。それは、「オーバーリーチング」と「オーバートレーニング」との間には、大きな違いがあるということです。私たちにはすべて、個人的な「適応閾値」があります。すなわち、体がトレーニング負荷に対して適応できる能力には限界があるのです。体は、累積したトレーニング負荷の量に応じて、オーバーリーチングの状態から1、2日間、場合によっては最大7~10日間の休養によって回復します。適切な回復のバランスをとらず、過度のトレーニング負荷を頻繁に体に与えると、オーバーリーチングを超えて、オーバートレーニングの状態に陥ることがあります。厳密な生理学的原因や特定の基準はまだ明確に定義されてはいないものの、オーバートレーニングが深刻な停滞や後退を生じさせる生理的な状態であることは間違いありません。オーバートレーニングに陥ると、完全に回復するまでに数か月を要する場合もあります。このため、トレーニング負荷を自分の限界値近くまで上げる際には、細心の注意が必要です。

オーバートレーニング状態に陥ったアスリートは通常、過度なトレーニングスケジュールや日常生活での強いストレスなどを通じて耐えられる以上の負荷を体に蓄積し、トレーニング負荷のバランスを保つために求められる十分な食事や睡眠をとっていません。いきなりプールのなかに飛び込むようなアプローチではなく、まずは足先を水につけて体を徐々に慣らしていきましょう。トレーニング負荷を増やす前に、体がそれにどのように反応しているかの感覚をしっかりとつかみ、控えめに少しずつ増やしていくようにします。適応閾値を超えるトレーニング負荷によって生じ得るデメリットは、メリットよりも大きくなります。ときには、「少ない量で、多くを成し遂げる」という考えに従うことも大切です。ジョー・フリールが述べているように、「トレーニングへの最適なアプローチは、適切なタイミングで、最も適切なトレーニングを、必要最小限行い、継続的な改善を実現すること」なのです。

体力は、ゆるやかかつ継続的に高めていくことが最適です。重要なレースのスタートラインに並ぶときには、直前のハードな練習で疲労を残しているよりは、若干、体に与えた負荷に物足りなさを覚えるくらいで臨む方が、はるかによい結果を期待できます。「焦げたトースト」ではなく、「新鮮なジュース」のような感覚です。仕事や家庭の事情で十分なトレーニングができなかったにもかかわらず、高いモチベーションを保ち、限られたエネルギーを最大限に発揮して、よいパフォーマンスを見せる選手もいます。一方、大一番のレースに向けて過度な追い込みをしたせいで、完走すらままならなくなってしまうアスリートもいます。短期間にかなり多くのトレーニングを行うことで、体力を一時的に高められる場合もあるでしょう。しかし、それによって生じ得る停滞や後退によって、体力を極度に低下させ、最初からベーストレーニングをやり直さなければならなくなることもあるのです。これを避けるためには、体に与える負荷と、それに対する適応のバランスを常に保つことです。そのためには、トレーニングスケジュールに回復日や回復週を組み込むことが必要です。

 

■TSSに対する疲労回復に必要な時間の目安

疲労回復に必要な時間は、トレーニング強度や時間によって変わります。その目安として便利なのがTSS(Training Stress Score)です。TTSSはトレーニングの量と質の両方を考慮して、体にどれくらい負荷がかかったかを数値化したものです。FTPで1時間TTをした時のTSSが100、FTPで20分維持のメニューを行った場合のTSSは33になります(100÷60分×20分≒33)。TSSに対する疲労回復に必要な時間の目安は、下表を参考にしてください。

 TSS回復に必要な時間
 150未満  翌日には疲労が回復
 150~300  翌日には疲労が残るが2日後には回復
 300~450  2日後でも疲労が残る可能性あり
 450超  2~3日間は疲労が残る

 

■適応閾値に影響を与えるその他要因

適応閾値は、サイクリング以外の生活面からも影響を受けます。トレーニングに加えて週に40時間以上も仕事をしなければならないアマチュア選手に比べ、休養をたっぷりとれるプロ選手は多くのトレーニング負荷に対処できます。トレーニング負荷が増えるにつれ、体がトレーニング負荷を吸収して適応できるようにするために、多くの回復が必要になります。

よくある過ちは、大量のトレーニングをいきなり始めてしまうことです。フルタイムの仕事や通学、家での役割などを抱えていながら、トレーニングの初年度に週15時間以上ものトレーニングをするサイクリストもいます。それによって、体力は短期間で向上するかもしれません。しかし、やがて必然的に限界に達し、病気や怪我、オーバートレーニング、燃え尽きなどの状態に陥ってしまうでしょう。トレーニングとレースに取り組み始めて1年目に最大限の能力を発揮しようと、基礎期に常にハードな走行をする選手がいます。彼らの理論は、「速くなるためには、速く走らなければならない」というものです。しかし、シーズン序盤にはよい成果をあげる傾向があるものの、すぐにプラトー(パフォーマンスが伸び悩む時期)に達し、シーズン中盤にさしかかる頃には低迷し始めます。

ベース体力を辛抱強くつくり上げることを怠ると、この落とし穴にはまってしまいます。能力を開花させるために、十分な時間をかけましょう。体を完全につくり上げるためには、数年を要します。「チャンピオンをつくるには5年かかる」という格言もあります。能力をいきなり最大限にしようと1年目のシーズンにハードな練習ばかりした選手は、ベース体力を翌年以降、一から開発しなければならなくなるので、結果的には遠回りしてしまうことになります。また、怪我や、病気、燃え尽きなどの後退を経験する可能性も高まります。

アレルギーが原因で、不調に陥るアスリートもいます。私は、毎年、同じ時期にトレーニングと回復で不調に陥っていた原因がアレルギーであった選手を数人、指導したことがあります。原因がアレルギーだと判明し、適切な対策を行った後には、以前のような問題は見られなくなりました。人によっては、アレルギーがぜんそくを引き起こす場合もあります。

不適切な食生活も、オーバートレーニングのよくある原因の1つです。食べ物は単なる燃料ではなく、免疫系を支え、トレーニングと日常生活で疲れた体を修復するために必要なものです。よい食生活は、よい健康状態と体力の向上に不可欠です。食生活をうまく改善できない場合は、栄養士など専門家に相談しましょう。

 

■オーバートレーニングの兆候

オーバートレーニング症候群(OTS)の具体的な生理的メカニズムは、現時点ではまだよくわかっていない点もあります。それでも、気をつけるべきいくつかの一般的な原因や兆候はあります。オーバートレーニングに最も陥りやすいのは、野心的な目標と高い意欲を持ったアスリートです。これらのアスリートは、休養日を定期的に取り入れるという考えを、うまく受け入れられません。また、オーバートレーニングの状態は栄養価やカロリーの低い食事とも大きく関連しています。

以下が当てはまる人は、オーバートレーニングの状態に陥る危険があります。

 

  • 病気や怪我をしているときにも、練習を続ける。
  • 足に極度の疲労が溜まっているときにも、休養日を取ろうとしない。
  • 食事を「コーヒーとドーナツ」などの栄養価の低いもので済ませることが多い。
  • 毎晩、質の高い睡眠を8時間以上とっていない。
  • 仕事や日常生活のストレスがきわめて大きい。
  • 毎日、できる限りハードな練習をしている。

 

■オーバートレーニングの症状

以下の症状が当てはまる人は、オーバートレーニングの状態に陥っている

場合があります。

 

  • パフォーマンスの伸び悩みや、全般的な不調を感じている。
  • 不機嫌になることが多い(友人や配偶者に尋ねてみましょう)。
  • 気分が落ち込み、いつものような意欲がわいてこない(雨降りの日など、誰でも気分が落ち込みやすい日に限らず)。
  • 体重や食欲が突然、大きく低下する。
  • 数日にわたって、夜によく眠れないことが続く。
  • 足に痛みを感じ、数日間の休養後でも、痛みが抜けない。
  • 頻繁に病気になったり、怪我をしたりする。
  • パワー出力やパフォーマンスが低下し続け、練習効果が感じられない。
  • ペダルを踏んでも、いつものように力強く進む手ごたえが感じられない。

 

これらの兆候のいくつかが当てはまり、オーバートレーニングの状態に陥っているかもしれないと思う場合は、3~5日間の完全なオフ(一切の練習をしない)をとり、その後で自転車に乗って感触を確かめます。回復したと感じられたのなら、休養をとる前の兆候は、休養が必要な、いつもよりオーバーリーチングが進行した状態であったと考えられます。この状態は、ステージレースの終了後によく見られます。ステージレースに出場した後は、足が回復し、新たな体力の向上のためのトレーニングを再開するまでに、10~14日間の完全オフが必要になることもあります。

もし、2~3日程度の完全オフでも回復が感じられない場合は、さらに1週間、完全オフを続けます。このオフ明けにも、まだ足の回復が感じられないのならば、さらなる休養が必要です。この場合は、スポーツ医の診察を受けましょう。また、何らかの疾患が進行していることも考えられます。甲状腺疾患や単核症、貧血などが、オーバートレーニングに似た症状を示すことがあります。

 

■鉄分不足の影響

体内の鉄分レベルを調べることも重要です。鉄分が不足していると、トレーニングに耐え、体力を向上させることが難しくなります。私は、不調に悩み続けたアスリートが、最終的にその主な原因が鉄分の不足であることに気付いた例を多く知っています。体内の鉄分を適切なレベルに上げることで、通常のトレーニングを再開でき、体調も取り戻せるようになります。研究によって、持久系アスリートにとっては、鉄分レベルが標準的な範囲内にあっても、その範囲内での低いレベルに当たるときは、不調を感じる場合があることがわかっています。持久系アスリートのニーズをよく理解している医師にアドバイスをもらうことも、とても重要です。私は指導する選手に、好調時に血液検査を受けておくことをすすめています。これにより、不調を感じ始めたときに再検査をした場合の比較対象となるベースライン値が得られるためです。

 

■オーバートレーニングを回避するためにTSSを活用する方法

パワーメーターを使用しているのであれば、TSSを活用することでオーバートレーニングを回避することができます。その場合、TSSを基にして算出される、「TSB」「CTL」「ATL」といった指標を参考にすることが一般的です。これらの指標は、TrainingPeaksや、TSBシミュレーター(β版)などで算出できます。

TSBは「調子や好調さ( form)の度合い」を数値化したものです。TSBがプラスであれば疲労が抜けた元気な状態で、マイナスであれば疲労が蓄積した疲れた状態と考えられます(ゼロの場合はニュートラルな状態といえます)。TSBが-20未満の場合は、トレーニングのパフォーマンス低下につながる可能性があるので、10日に1回以上のペースでTSBが-20未満に陥らないように注意しましょう。また、TSBが-50~60の状態が続くと、風邪をひくリスクが非常に高くなります。

CTLは、「長期間(42日間程度)にわたって積み重ねてきた練習効果」を数値化したもので、いわば「体力(fitness)」を表します。CTLの値が高いほど、体力(fitness)レベルが高いと考えられます。ただし、CTLが高い(=体力・fitnessレベルが高い)ことが「レースで高いパフォーマンスを発揮できる」ことを保証するものではありません(TSBの調整も重要になります)。CTLが徐々に上がって行くように練習計画を組むことで、安全かつ持続的に体力を向上させていくことができます。具体的には、CTLを1週間あたり5TSS(3~7TSS)程度ずつ上げて行くのが無難なレベルです。しかし、適応能力や回復力には個人差がありますので、自分の能力に応じて適宜調整しましょう。CTLを急激に上げ過ぎると、オーバー・トレーニングに陥るリスクがあります。特にCTLが1週間で7TSS以上もの上昇が4週間連続した場合は、注意が必要です。この場合、練習強度・量などを見直したほうがよいと考えられます。

ATLは、「直近(7日程度)の練習の影響」を数値化したもので、いわば「元気さ(freshness)や疲労(fatigue)」の程度を表します。ATLが高いほど「疲れた状態」で、低いほど「疲労が抜けた元気な状態」であると考えられます。ATLを積み上げることでCTLが向上していきますが、ATLを急激に上げ過ぎるとオーバー・トレーニングに陥るリスクがあります。特にATLが1週間で70TSS以上も上昇した場合は、注意が必要です。この場合も、練習強度・量などを見直したほうがよいと考えられます)。またATLがCTLをかなり長期間上回る状態が続いている場合も、オーバー・トレーニングに陥っている可能性が高くなります。