「強さ」と「健康」の両立──アスリートにおける病気リスクとその影響
競技力を追求するアスリートにとって、トレーニングや栄養戦略が最重要事項といる。その一方で、その成果を脅かす存在として「病気(急性疾患)」の影響も見逃せない。特に国際大会などでは、体調不良が即、レース結果に直結することもある。本稿では、エリートアスリートにおける病気の実態、主な疾患の特徴、競技パフォーマンスへの影響、そして予防のための重要ポイントについて紹介する。
■エリートアスリートにおける病気の発生頻度
オリンピックやパラリンピックをはじめとする国際大会では、アスリートにとって、体調管理が極めて重要なテーマとなる。9~18日間に及ぶ主要大会のデータによれば、登録選手のうち6~17%が大会期間中に何らかの病気を経験するという。男女別で見ると、女性アスリートの方が一貫して罹患率が高く、これは一般成人とは逆の傾向を示す。また、病気発生率は夏季大会よりも冬季大会で高く、さらに障害を持つ選手が出場するパラリンピックでは、オリンピックよりも高い傾向があるとされている。
■最も多いのは呼吸器系疾患──「風邪」の正体
競技期間中に最も多く報告されるのは呼吸器系に関わる疾患であり、全急性疾患事例の約40~60%を占める。代表的な症状としては、喉の痛み、頭痛、鼻水、涙目、倦怠感などが挙げられ、いわゆる「風邪」の諸症状に該当する。加えて、消化器系(10~20%)、皮膚および皮下組織(10~15%)、泌尿器系(5~10%)といった部位も、比較的高頻度で影響を受ける。
呼吸器症状の原因の約75%は感染症とされる一方で、冷気や乾燥空気、汚染された空気の吸入、アレルギーなど、感染以外の要因によって同様の症状が引き起こされる場合もあるので、診断と対策において注意が必要だ。
■病気がパフォーマンスに与える影響──「走れるが勝てない」状態
急性疾患が競技パフォーマンスに及ぼす影響は、想像以上に大きい。感染性疾患は全身の複数の器官系に波及し、運動協調性の低下、筋力の減少、VO2maxの低下、代謝機能の変化といった要因が複合的に働き、結果的に「思うように身体が動かない」状態を招く。
さらに発熱を伴うと、体温調節機能が損なわれることで水分喪失が増加し、持久系能力が著しく低下する。実際、呼吸器疾患が完治した後でも、運動能力の低下が2~4日間持続することが報告されており、仮にレース当日に発熱や全身症状を抱えてスタートすると、完走率が1/2~1/3に低下するというデータもある。
■練習を止める最大の理由──「感染症による離脱」の現実
英国の30種目にわたるオリンピック競技に出場したエリート選手の調査では、練習セッションを欠場した理由の33%が感染症に起因していたという。これは、トレーニング計画における病気管理の重要性を裏付けるデータであり、感染症リスクを「予測不能なトレーニング中断要因」としてではなく、「計画的に軽減すべき課題」として捉える必要があるといえよう。
加えて、激しい運動中に急性疾患を抱えている場合、重篤な合併症や突然死のリスクが高まる可能性が指摘されている点は、特に留意すべきだろう。
■競技外における発症──「風邪」は日常的リスク
競技期間外においても、アスリートが最もよく罹患するのは上気道のウイルス感染症、すなわち一般的な風邪である。成人では年間2~4回程度、風邪にかかるのが平均的とされているが、トレーニングや競技スケジュールが過密になる時期には、発症率が高まる傾向がある。これは、生理的・心理的ストレスが蓄積し、免疫機能の低下につながるからだ。
■発症リスクを高める因子──「オープンウィンドウ理論」
近年では、アスリートにおける病気リスク因子が多数特定されつつある。中でも、過度のトレーニング負荷、競技によるストレス、国際遠征などは、感染症の発症リスクを高める要因として信頼性の高いエビデンスが蓄積されている。
長時間の高強度運動は、白血球の免疫機能を一時的に抑制する「オープンウィンドウ」と呼ばれる状態を作り出す。この時間帯には、体内の防御力が低下し、ウイルスや細菌が侵入・定着しやすくなるとされている。
このほか、睡眠不足や栄養状態の不良(特にタンパク質および必須微量栄養素の不足)も免疫機能を低下させる要因となりうる。さらに、トレーニング施設、宿泊環境、輸送手段などにおける病原体との接触機会が増加することで、リスクは一層高まる。
■病気予防における「積極的戦略」としての栄養と回復
感染症対策というと、マスクや手洗いといった「防御的対応」が思い浮かぶかもしれない。しかし、アスリートにおける最も現実的な戦略は、「自己免疫力を底上げする」という方向性にある。十分な栄養(特にエネルギー、タンパク質、鉄や亜鉛などの微量栄養素)、適切な睡眠、精神的なリカバリーは、いずれも感染症発症率を低下させる方向に作用する。
また、トレーニング計画の設計において、負荷と回復のバランスを最適化し、「慢性的な抑制状態」への陥落を避けることが望まれる。
■「健康」は競技力の前提──勝つために、まず守る
どれほど技術的に優れた選手であっても、病気によってスタートラインに立てなければ勝負の土俵にすら上がれない。つまり、体調の維持は「競技力の一部」として位置づけられるべきであり、単なる自己管理スキルではない。
特にトレーニング量が増加しやすい強化期、遠征を伴うレース前、寒冷環境下のトレーニングなどでは、意識的に免疫機能の保全を意識したアプローチが必要といえる。
参考文献
Gleeson M (2016) Immunological aspects of sport nutrition. Immunology and Cell Biology 94:117–123.
Gleeson M, Bishop NC and Walsh NP (2013) Exercise Immunology. Routledge.
How common are illnesses amongst athletes? https://www.mysportscience.com/post/2016/08/19/how-common-are-illnesses-amongst-athletes